『ウェブを進化させる人たち』13

伊藤譲一氏。

おおっ、この章で始めてちゃんと知っている人だー! って、氏のプロフィールをあんまりちゃんと存じていなかったのですが、タフツ大学でコンピュータ・サイエンスを専攻、シカゴ大学で物理学を専攻してたんですね。転入ってことは修士でなくて学士かな? いずれにしても、わりと楽しい時期に楽しい大学に行っていたんですねー。

肩書きナシ。この心意気がまた、伊藤氏らしいです。

前は○バ○コ氏を大プッシュしていたりして「何言ってんだこの人!」とか思ったことはあったのですが、書くものとかすごい的を得ているし、最近はノイズが入らなくなったのかいろいろ落ち着いてきて、いい感じになってきたなあ、と思っています。伊藤氏もオトナになった、というわけですね、いい意味で! 日本のインターネット黎明期に、確かに手を動かして汗かいていた人なので、やっぱり氏の言う事には経験とか歴史が伴っており、納得のいくものが多いです。はい、尊敬しています。

伊藤 ボトムアップで、ユーザージェネレイテッドに近いオープンネットワークになった。10年前だったら、ネットワーク屋さんでさえ、こんなことはできないと思っていた。それがほほ10年後の今、当たり前になった。そうなるのに、10年かかったのです。

湯川 初めからインターネットというのは世界とつながるメディアだ、ユーザージェネレイテッドのメディアだと言われていたのですが、本当にそうなるまで10年もかかってしまったということなのでしょうね。

(p.117)

うむ! S野氏も同じことおっしゃっていましたっけ。そうなるのに、10年かかった、と。

湯川 …国が、特にモノポリに影響されやすいような政府が、インターネットの大元部分の権利を握ってしまうと、これからイノベーションが起こりづらくなってくるということですね。

伊藤 それがなぜ駄目かというと、 1年に1回おじさんたちが集まって、一生懸命あらゆる可能性を想定して規格を作っていたら、規格の書類がとても分厚くなっちゃうわけ。インターネットのイノベーションというのは、13歳の男の子でも誰も、何でもソフトを書いて、みんなでワイワイ走りながらやるという感じなのね。
そういうほうがイノベーションがうまくいくというプロセスが証明されたにもかかわらず、昔からいる人たちが「そろそろまた僕らに権限を戻せ」と言い始めている。それが、いま起こっていることなんです。

(p.119)

そんなことさせないぞー! ねえ!

プライバシーの問題のところなど、さすがっていう伊藤氏ならではの体験を交えた見解がクリアーでよいです。

利便性を取るか、安全を取るか。伊藤氏は、何でも全部1つのIDにつなげようとするのは、セキュリティ対策としても良くない、とおっしゃっています。これは、ここまでの氏の話を読んでみると一目瞭然。このひとつをなくしたりバラしてしまったら、スベてがパアになってしまうのだから。伊藤氏は、プライバシーを保護する便利さを作ればいい、とおっしゃっています。これらの混沌や不安を解消してくれるのもまた技術である、と。

2005年9月にインタビューを行った模様ですが、伊藤氏も、時期的に、やはりユーザージェネレイテッドメディアのことについて言及しています。

伊藤 …企業の中でコンテンツを作って配信するのではなく、企業はプラットフォームを提供するだけ。ユーザーがメインで、イノベーションは会社もやるが各レイヤで必要になると思うのです。ゲームでも音楽でもソフトウェアでもそういうビジネスが発生して、それがこれから勝っていくのではないかなと思います。

(p.123)

「各レイヤで必要」という判断は伊藤氏ならではだなと思いました。

この後、ゲームでユーザージェネレイテッドコンテンツというのはどんなものになるか、話しています。

伊藤 …今はどちらかというと、カスタマイズまでは行っている。これからくる波は、本当に個人ベースでホームページを作るのと同じように自分のゲームを作れる。仲間でみんなで組み立てることもできる。

(p.124)

この辺の事例も、伊藤氏ならでは。私にはとてもわくわくする話で、自分もそうなればいいなと思っているひとりなのですが、実際どうなんでしょうね。オールインワンとかおかませコースとか好きな人っていうのも結構多いからなあ。余計なことは考えたくないよ、みたいな。あと、重箱の隅を突っついたり網の目をくぐったりしてお金を儲けようとする人たちっていうのが出てくると思うし。そうなるとまた規制されてしまうわけです。上手くいかないなあ…これらの解消にも、また、10年くらいかかるのかもしれません。

また、ユーザージェネレイテッドについて、

伊藤 まあ、すべでではないかもしれないけど、どの分野でもあり得ると思うのね。プロとアマチュアの戦いが各分野で起きて、分野によってはアマチュアのほうが強くなるものもあるし、プロがやり続ける分野もあると思う。オーケストラなど、ある程度までの設備投資や評判投資がないとできない分野と、そうでもない分野は違うとおもうのです。

湯川 それと一発で勝てたりする分野などでは、アマチュアが抜くかもしれませんね。…

(p.127)

いずれにしろユーザージェネレイテッドなコンテンツ作りだとかマーケティングだとかはなくなることはないと思います。今流行で、各分野にどーっと導入されて、それでどの分野でも有り得るなあということが一応わかって、それから淘汰されたりブラッシュアップされたりしていくんだろうなと思います。

次章で、両氏はメディアの使い方と国民性について話をしています。そして、日本について、

湯川 発言しない国かというとそんなことはなくて、発言したいと思うし、社会のことを思っていない人が多いとかいうとそんなことはない。ほとんどの人がやはり社会を良くしたいと思っていて、自分の子供たちのためには、良い社会にしたいなと思っている人が大半だと思うしね。

伊藤 そうだよね。僕の個人的な意見で言うと、日本の国民をみんな甘く見ていると思うんだよね。日本人はこうだ、ああだと決め込んでしまっていると思うのです。…サラリーマンになった人たちは、非現実的な世界にずっと生きているから、やる気がない人が多いのかもしれないけど、そうではない人たちもまだいるのではないかと思うのです。

(p.129)

すごい。しょこたんならここで「ぎざすごす!」といか言う、絶対。

ああ、これもS野氏が言っていたなあ。人はみな基本性善説に寄っているんじゃないかって。他の人から間違っているかもしれないと思う様なことをする人も、自分の中では、正しい、これで世の中とかいろいろなことがよくなると思ってやっているんだから、って言っていたなあ。サラリーマンは、非現実的な世界に生きているのかあ! こんなことが言えるのも、伊藤氏ならではだなあ…。

その次の章ですが、「モバイルに慣れ親しんだ子供たちはインターネットにも馴染めるか」。え、モバイルもインターネットに繋がっているものなんじゃないの?と思ったら、それは今時の子供じゃない発想みたいですよ。

伊藤 たぶんモバイルというのは、リアル世界の一部で、サイバースペースではないのです。リアル世界の中で通信を行うというユビキタスシステムだから。そうするとリアル世界でイノベーションが起きる必要性があると思う。

例えばカラオケボックス。モバイルを意識したお店のあり方や場のあり方が生まれてくると、そこでイノベーションが起きるかもしれない。そうすると、その場所の作り方やあり方を、もしかしたら若い子達が教えてくれるかもしれない。

(p.131)

こういう分析はほんと伊藤氏ならではだなあ、と思います。ちょっと感動したので、太字にしてみました。

私も、もっとハードのコードにとらわれないで、個々の事例を深く自由に考えてもいいなと思いました。そもそもモバイルって何を必要とするツールなのか、とか…。

伊藤 …これはうちの妹がやっている研究ですが、メールの中身ではなくて、メールを使っていることによって、接続しているツールが4〜5人のプレゼンスを常時理解している。
そうするとプレゼンスとは何なのかと。プレゼンスをメディアとして考えると、どういうコンテンツがあるの、となってくるのではないかなと思うのです。…

(p.131)

プレゼンスかあ! それこそがモバイルの根底にあるものなのかもしれない。繋がっている/いないことは実はあまり重要じゃなくて、プレゼンスを感じることができるかできないか、なのかも知れないですね。むむ!

次章はSNSの話なんだけど、伊藤氏は「情報はクローズに、アーキテクチャはオープンにすべき」と言っている。インターネットではなんでもオープンにすべき、と言っている伊藤氏ではあるが、ほう、と思ったら、伊藤氏は、人はSNSはリアルに近い形で使いたいのではないかと分析していた。ならば、リアルと同じで、情報はクローズしてもいいのではないか、と。クローズだからこそ意味がある情報っていうものの存在、確かに、実感しますしね。

短い言葉で、さくっさくっと的確なことを言う伊藤氏。その後ろにあるのは机上の空論ではなくて、自ら足で手で感じたものであるのが、この人の強みかなと思います。それが非論理的だとか泥くさいとか言う人もいるけど、私は、最近の伊藤氏はちょっとよい感じだなと思います。